交通局探検

開業時代のレール

大正元年(1912年)、鹿児島に初めて路面電車が登場しました。鹿児島電気軌道株式会社が、「武之橋~谷山」間に開業したのです。それから100余年、開業当時の面影を探してみました。
電車が走るためには、レールが必要です。交通局には、開業の年である1912年に製造されたレールが現在もいくつか残っています。これらのレールは、「官営八幡製鉄所」、「カーネギースティール社」、「イリノイスティール社」が製造したものです。以下ご紹介します。

官営八幡製鉄所製造のレール

レールの内側に、「凡例 NO 60 A 1912 VII」 と刻印があります。
これは、「官営八幡製鉄所 60ポンド Aタイプ 1912年7月」製造と考えられます。
「丸にS」の印は、官営八幡製鉄所を示し、レールの重さが60ポンド
断面形状によるレールの区分がA、そして数字が製造年、ローマ数字が製造月というように解読されます。

このレールは、「凡例 NO 60 A 1912 IX」と刻印されていることから
「官営八幡製鉄所 60ポンド Aタイプ 1912年9月」製造と考えられます。

カーネギースティール社製造のレール

「CARNEGIE 1912 ET ||||」と刻印があります。
これは、「カーネギー社 1912年 エドガー・トムソン工場4月」製造と考えられます。
製造月は、官営八幡製鉄所製ではローマ数字で刻印されていますが、カーネギー社では単に縦線の数で示してあります。
この写真では、製造月に続くレールの重さと種類を示す刻印が写っていません。

このレールは、「CARNEGIE 1912 ET |||| 60 A」と刻印があります。

イリノイスティール社製造のレール

画像が悪いため掲載できませんが、次のように刻印が入っています。
「6015 IS Co. SOUTH ||| 1912」
これは、「6015タイプ イリノイスティール社 南工場3月1912年」製造と考えられます。製造月はローマ数字です。

上メーカーのレールはこれら以外にも何本かありますが、保存していたのではなく、建築物の鉄骨、車庫のレール等として再利用され、今に残っているものです。
これら1912年製造のレールが鹿児島電気軌道株式会社開業当時に実際に使われていたものか、何らかの経緯で局内にあるものか、といったことについてははっきりとは分かりません。

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石造りの武之橋変電所

市電は、直流600ボルトを動力としています。九州電力からの交流6,600ボルトを電車用に変換するために、武之橋変電所(交通局敷地内)と脇田変電所を設置しています。
武之橋変電所は、大正6(1917)年12月、それまでの木造を石造りに改築しました。現在、多くの部分は改修されましたが、まだ建築当時の石造りの部分が残っています。

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秋の風物詩「花電車」

秋の鹿児島の風物詩となっている「花電車」の車両は、路面電車開業の前年、明治44年の製造といわれています。
花電車は「花1号」と「花2号」の2両ありますが、花1号は昭和53年度、花2号は翌54年度に西日本鉄道から譲り受けたものです。
車両の製造年は明治44(1911)年とされていますが、新車で西日本鉄道が導入したものかどうかなど、詳しいことは分かっていません。
なお、「花1号」は老朽化のため平成25年3月に廃車され、現在は「花2号」が1両で活躍しております。

  車体製造会社 台車 電動機 ブレーキ装置
花1号 深川製作所 J.G.ブリル社 奥村電機株式会社 日本エヤーブレーキ株式会社

台車製造のJ.G.ブリル社は当時のアメリカの大手メーカーです。
また、奥村電機は明治・大正期には発電機や電動機などの部門では、日本有数の企業として知られていましたが、昭和初期に解散しました。 
日本エヤーブレーキ株式会社は、創業が大正後期ということから、車両製造時期と整合しません。製造後、ブレーキシステムの改修がなされたものと思われます。
なお、日本エヤーブレーキ株式会社は、超低床電車ユートラムの電動ブレーキを開発した「ナブコ」社の前身です。

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